明治大学ハーモニカソサエティーの歴史 

     
191
8年(大正7年)
    前身、ハーモニカ愛好者の合奏団「コーリン会」誕生

1919年(大正8年)
    小石川植物園にて我国初のハーモニカ合奏。現在の正式名称発足
1920年(大正9年)
    第1回定期演奏会(神田YMCA講堂)10月28日
      川口章吾指揮で校歌を演奏。明治大学校歌誕生(初めて社会に公表)
1923年(大正12年)
    アメリカ演奏旅行が関東大震災の為中止となる

1925年(大正14年)
      NHKラジオ仮放送(芝浦)に出演
1926年(大正15年・昭和元年)
      世界で最初のハーモニカ合奏による交響曲(原譜通り)演奏
1927年(昭和2年)
    
第15回定期演奏会(日本青年館)11/25 ゙ル゙ーク作曲「新世界より」、他
1928年(昭和3年)
    大田黒敏男、初代部長就任。上海演奏旅行(1回目)
1929年(昭和4年)
      スタンフォード大学野球部招聘レセプション出演
      NHKラジオ・JOAK(愛宕山)出演
      創立10周年記念演奏会(日比谷公会堂)指揮加賀二郎
1930年(昭和5年)
    ビクターよりSPレコード「ウイリアム・テル序曲」発売

    「全日本学生ハーモニカ連盟」結成

1932年(昭和7年)
    佐伯好郎、第二代部長就任

1933年(昭和8年)
    林久吉商学部教授、第三代部長就任。上海演奏旅行(2回目)

    楽器編成にアコーディオン、ギターが加わる

1937年(昭和12年)
    上原秋雄 没す。門下生の集まり「秋門会」

1938年(昭和13年)
    第34回演奏会(有楽町・蚕絲会館)

1939年(昭和14年)
    第35回演奏会、第36回演奏会

1940年(昭和15年)
    第37回演奏会、第38回演奏会

1941年(昭和16年)
    第39回演奏会、第40回演奏会

1942年(昭和17年)
    第41回演奏会、第42回演奏会(九段会館・25周年記念)

1943年(昭和18年)
    第43回演奏会(明大記念館)

1948年(昭和23年)
    第44回演奏会(明大記念館)

1953年(昭和28年)
      第45回演奏会(明大記念館)、第46回演奏会(明大記念館)
1954年(昭和29年)
    第47回演奏会(明大記念館)、第48回演奏会(明大記念館)

1955年(昭和30年)
    第49回演奏会(明大記念館)、第50回演奏会(明大記念館)

1956年(昭和31年)
    第51回演奏会(明大記念館)、第52回演奏会(明大記念館)

1957年(昭和32年)
    第53回演奏会(明大記念館)、第54回演奏会(明大記念館)

1958年(昭和33年)
    第55回演奏会(明大記念館)、第56回演奏会(明大記念館)

1959年(昭和34年)
    第57回演奏会       、第58回演奏会

    
旧・日本教育テレビ出演、日本短波放送出演
1960年(昭和35年)
    第59回演奏会(日本青年館)、第60回演奏会(日本青年館)

    第1回4大学(明治、早稲田、立教、中央大)コンサート

      初の女子OB会員誕生
1961年(昭和36年)
    第61回演奏会(日本青年館)、第62回演奏会(日本青年館)

    フルート加わる。
    TV「源平芸能合戦」。東宝映画「駅前弁当」BGM録音

1962年(昭和37年)
    第63回演奏会(共立講堂)、 第64回演奏会(共立講堂)
1963年(昭和38年)
    第65回演奏会(共立講堂)、   第66回演奏会(共立講堂)

    日本短波放送出演
1964年(昭和39年)
    第67回演奏会(共立講堂・45周年)、第68回演奏会(共立講堂)

    初代ハーモニカ・カルテット編成

    
複音ハーモニカから単音ハーモニカへ。
    数字譜から五線譜へ。

1965年(昭和40年)
    第69回演奏会(共立講堂)、 第70回演奏会(共立講堂)

    
クラリネット加わる。
1966年(昭和41年)
    第71回演奏会(共立講堂)、 第72回演奏会(共立講堂)

    
北島忠男商学部教授、第四代部長就任
1967年(昭和42年)
    第73回演奏会(共立講堂)、 第74回演奏会(共立講堂)

1968年(昭和43年)
    第75回演奏会(共立講堂)、 第76回演奏会(共立講堂)

1969年(昭和44年)
    第77回演奏会(共立講堂・50周年)

        50周年行事としてアイ・ジョージ出演,川口章吾氏,石川登先輩,楠司郎先輩の演奏、
      OB26名と合同演奏

     第78回演奏会(共立講堂)
1970年(昭和45年)
    第79回演奏会(共立講堂)
1971年(昭和46年)
    第80回演奏会(共立講堂)

1972年(昭和47年)
    第81回演奏会(共立講堂)、 第82回演奏会(共立講堂)

1973年(昭和48年)
    第83回演奏会(共立講堂)、 第84回演奏会(共立講堂)

1974年(昭和49年)
    第85回演奏会(文京公会堂)、第86回演奏会(共立講堂)

1975年(昭和50年)
    第87回演奏会(共立講堂)、 第88回演奏会(共立講堂)
    
TV「題名のない音楽会」出演
1976年(昭和51年)
    第89回演奏会(文京公会堂)、第90回演奏会(共立講堂)

1977年(昭和52年)
    第91回演奏会(よみうりホール)、第92回演奏会(日比谷公会堂)

1978年(昭和53年)
    第93回演奏会(よみうりホール・60周年)

      小笠原晴海先輩,楠司郎先輩がゲスト演奏、OB演奏参加19名

    第94回演奏会(よみうりホール)
    60周年記念LPレコード「青春の旅路」制作(題字:北島忠男商学部教授)

1979年(昭和54年)
    第95回演奏会(九段会館)、        第96回演奏会(江東公会堂)

1980年(昭和55年)
    第97回演奏会(よみうりホール)、 第98回演奏会(江東公会堂)

1981年(昭和56年)
    第99回演奏会(よみうりホール)、 第100回演奏会(よみうりホール)

1982年(昭和57年)
    第101回演奏会(よみうりホール)、  第102回演奏会(よみうりホール)

1983年(昭和58年)
    第103回演奏会(中野公会堂)

1984年(昭和59年)
    第104回演奏会(よみうりホール)、  第105回演奏会(よみうりホール)

    
スマイリー小原(栗原照夫 昭和16年卒) 没す
1985年(昭和60年)
    第106回演奏会(よみうりホール)、  第107回演奏会(よみうりホール)

1986年(昭和61年)
    第108回演奏会(杉並公会堂)
      北島忠男部長就任20周年記念演奏会

     第109回演奏会(よみうりホール)
1987年(昭和62年)
    第110回演奏会(よみうりホール)、  第111回演奏会(よみうりホール)

1988年(昭和63年)
    第112回演奏会(よみうりホール)、  第113回演奏会(よみうりホール)

1989年(昭和64・平成元)
    第114回演奏会(よみうりホール)、  第115回演奏会(江東公会堂)

1990年(平成2年)
    第116回演奏会(よみうりホール)、  第117回演奏会(江東公会堂)

1991年(平成3年)
    第118回演奏会(よみうりホール)、  第119回演奏会(曳舟文化センター)

1992年(平成4年)
    第120回演奏会(板橋区立文化会館)、 第121回演奏会(曳舟文化センター)

1993年(平成5年)
    第122回演奏会(朝日生命ホール)
    第123回演奏会(曳舟文化センター・75周年)

       75周年行事として小笠原晴海先輩の演奏,指揮黒木氏
1994年(平成6年)
    第124回演奏会(板橋区立文化会館)、 第125回演奏会(江戸川文化センター)

     75周年記念CD「The 75th Anniversary」制作
1995年(平成7年)
    第126回演奏会(市川市文化会館)、  第127回演奏会(曳舟文化センター)

    篠原敏彦商学部教授 第五代部長就任

    記念館さよならコンサート出演(10月20日)

1996年(平成8年)
    第128回演奏会(江戸川文化センター)、第129回演奏会(ティアラこうとう)

1997年(平成9年)
    第130回演奏会(江戸川文化センター)、第131回演奏会(練馬文化センター)
1998年(平成10年)
    第132回演奏会(曳舟文化センター)、 第133回演奏会(江戸川文化センター)
1999年(平成11年)
    第134回演奏会(江戸川文化センター)、第135回演奏会(江戸川文化センター)
2000年(平成12年)
    第136回演奏会(江戸川文化センター)、第137回演奏会(かめありリリオホール)
    
小笠原晴海(昭和16年卒)80歳記念リサイタル
2001年(平成13年)
    第138回演奏会(江戸川区総合区民センター)、第139回演奏会(練馬区光が丘IMAホール)

2002年(平成14年)
    第140回演奏会(曳舟文化センター)、 第141回演奏会(浦安市文化会館)

2003年(平成15年)
    第142
回演奏会(江戸川区総合区民センター)、第143回演奏会(かめありリリオホール)
2004年(平成16年)
     第144回演奏会(かめありリリオホール)、第145回演奏会(かめありリリオホール)
2005年(平成17年)
     第146回演奏会(かめありリリオホール)、第147回演奏会(かめありリリオホール)
2006年(平成18年)
     第148回演奏会(タワーホール船堀)、  第149回演奏会(タワーホール船堀)
     第46回4大学(明治、早稲田、立教、中央大)コンサート(八王子いちょうホール)
2007年(平成19年)
     第150回演奏会(かめありリリオホール)、第151回演奏会(かめありリリオホール)
     第47回4大学(明治、早稲田、立教、中央大)コンサート(江戸川区総合区民センター)
     第150回定期演奏会においてペナントが復活
2008年(平成20年)
    第152回演奏会
(かめありリリオホール)、第153回演奏会(有楽町よみうりホール)
     第48回4大学(明治、早稲田、立教、中央大)コンサート(江戸川区総合区民センター)
     第153回定期演奏会を創立90周年記念演奏会として開催



  参  考

今までの主なゲスト出演者

 淡谷のり子,東海林太郎,由紀さおり,真理よし子,ビリーバンバン,デュークエイセス,
 新谷のり子,小沢昭一,藤山一郎,渥美二郎、雪村いずみ,中島潤,波多まゆみ,九重佑美子、
 加藤登紀子,菅原洋一,ロミ山田,アイジョージ,田中のり子,ボニージャックス,ザブルージンフォー,
 メローウィンズ,宮城純子,泉朱子,橋キヨシ,佐藤秀廊,大野義夫,宮前ユキ,

 杉はじめ&ホームタウンナンバー,小沢俊男,(囃子太鼓)山田鶴三郎,トリオロスペペス,
 ザ・ピーナッツ








 

   このページは「創立60周年記念レコード(青春の旅路)説明書(昭和53年)」
 をもとに編集してあります。

  

1 ソサエティーの結成

 

 が明治大学ハーモニカソサエティーは大正7年に故佐藤時太郎氏を中心に結成され,翌大正8年春,小石川植物園において,わが国初のハーモニカ合奏が同氏の指揮のもと演奏された。これが非常に好評を博し,新聞、雑誌に大きく報道されて、それはソサエティーのデビューであり,ハーモニカ合奏のデビューであった。
 日本で初めてハーモニカが生産されたのは明治43年であり,明治大学ハーモニカソサエティーは,国産ハーモニカが誕生して8年目に結成されたのである。もちろん,音楽団体で「ソサエティー」という名称を用いたのも明治大学が最初である。
 かくして,明治大学ハーモニカソサエティーは誕生し,技術を一層強化すべく,当時,日本楽器ハーモニカ部の技術顧問をしていた故川口章吾先生の出馬を懇願した。川口先生は多忙の身ではあったが、これを快く引き受けられ,浜松からことあるごとに上京して,ソサエティーの指導,育成,強化に力を注ぎ,独奏者の指導をもしていただいた。

  

 

 

 現在では,編成もかなり変化し,電気楽器,鍵盤楽器等の楽器が加えられ,レパートリーもイージーリスニング主体からロックやフュージョンほかさまざまなジャンルの音楽をも演奏するようになった。
 
また、長い伝統の重みのあるところへ,いわゆる現代っ子も入部し,新旧の気質が入り混じり,女性部員も過半を占めるようになり、ソサエティーの気風も年々変遷し、現代の新しい伝統が形成されつつあります。

 




初代カルテット

昭和39年

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明治大学ハーモニカソサエティーの年譜

8 現在のソサエティーへ

創立50周年定期演奏会

昭和44年6月7日
共立講堂

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 昭和30年代後半を迎えると,レパートリーも開拓され,昭和36年頃より「ラテン音楽」に取り組み,リズム楽器とハーモニカとのおりなす色彩は予想以上の好評を呼び,放送にステージに活躍し,ラテンのハーモニカソサエティーと呼ばれるに至った。
 昭和39年からは,従来の略譜(数字譜)から本譜への以降が行われたり,複音ハーモニカを全廃し,シングルハーモニカに変えられたりもした。編成においても木管楽器が加えられたりして,ソサエティーの一つの大改革期を迎えた。また,現在でもわが国に一つしかない小編成によるハーモニカバンドである「ハーモニカ・カルテット」が結成されたのもこの頃である。
 昭和40年代を迎えるとレパートリーも次第にラテンからハーモニカとストリングスがうまくマッチしたイージーリスニングの曲へと変化し,40年代末期にかけてイージーリスニング全盛期を迎える。その代表曲とも言うべき「シバの女王」はソサエティーのシンボル曲であり,現在でも,演奏会で演奏されている。

7 昭和30年代以降の移り変わり




昭和28年定期演奏会

記念館
歌手は雪村いずみ

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 明治大学の歴史の中で特筆すべきことに校歌の誕生がある。
 ソサエティー創立当時,明大には校歌が無かった。学校のシンボルともいうべき校歌の必要性を,ソサエティーが中心となり,学校当局に申し入れたが,全く「馬の耳に念仏」で,要望を聞く様子がなかったのでソサエティーの幹部であった鈴木重吉氏が服部茂,牛尾哲蔵両氏の協力を得て児玉花外氏に作詞を,又作曲を山田耕筰先生のもとに,強引に依頼したそうである。
 こうして出来上がったのが,今でも「白雲なびく駿河台・・・・」と親しまれ歌われている明治大学校歌である。

6 戦後の復興

 

 

 敗戦の感いまださめやらぬ昭和23年11月,戦後最初の演奏会が記念館ホールで開かれたが,部員が10数名で技術も低く,意気が挙がらず,ともすれば悲観的な状態であった。
 
しかし,石川登氏が入部するに及んで,その献身的な努力の結果,技術も向上し,次第に往年の姿に戻り,同氏が卒業後も監督として後輩の育成にあたり,それに加えて部員の懸命な努力もあって,全日本学生ハーモニカコンクールにおいて第一位の栄に輝いた。
 その後,同大会が廃止されるまで5年間連続優勝を遂げ,明治大学ハーモニカソサエティーは再び棋界の最高峰に君臨することになった。

 

 

 昭和12年にはいるや,支那事変が勃発し,ハーモニカの入手も次第に困難となってきたが,これにも屈せず活躍を続けていた。
 さらに,昭和16年第二次世界大戦が起こるや,学徒は動員され部員も次第に減少したが,OBの力を得て,あくまで歴史と伝統を堅持し,陸軍病院,軍需工場等に慰問演奏を続けていた。
 しかし,戦争は益々苛烈の度を加え,ついに昭和18年6月19日,戦前から続いていた定期演奏会も開催することが困難になり,第43回定期演奏会をもって,静かに幕を閉じることになるのである。
 最後の演奏会は,明治大学記念館ホールにおいて開かれ,卒業生15名がベートーベンの「第一交響曲」より「フィナーレ」を別れの心を込めて演奏した。

5 支那事変から第二次世界大戦

4 震災とその後の全盛時代




JO-AKにて放送

昭和4年9月16日

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 大正12年の関東大震災による学校校舎の焼失などで大正末期のソサエティーは受難の時期であり,アメリカ遠征の計画等も中止された。
 しかし,昭和の時代に入るや,当時の指揮者田村尚文,若松幹雄,佐藤輝男氏等によってハーモニカのレベルが一段と高められ,演奏旅行も日本全国はもとより,朝鮮,台湾、上海にまで及び,ソサエティーの名声を高め,明大のPRに努めた。
 更に,利益の余剰金を大学復興基金として寄附したことは,ソサエティーの歴史に輝かしき功績として残るものである。顧みると大正末期から昭和初期にかけては絢爛たるハーモニカ全盛時代であったといえよう。




第17回秋季定期演奏会

昭和3年10月27日
記念館


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 ソサエティー結成から,1年有余の後,第1回発表演奏会が大正9年10月28日にYMCAホールで開かれた。それは驚異的な反響を呼び,聴衆が入場できないほどで,第1回演奏会は大成功のうちに幕を閉じた。その時の演奏曲目は「ドナウ河の漣」・「オーバー・ザ・ウェーブス」・「アメリカンパトロール」等のポピュラーな曲で,楽器は半音ハーモニカが製作されていなかったため,半音なしの演奏であった。
 
その後,楽器メーカーもハーモニカの生産に力を入れ,生産技術も向上したが,ソサエティーは自分たちで考案したハーモニカを楽器メーカーに特別注文し,「コルネットハーモニカ」・「フルートハーモニカ」・「バスーンハーモニカ」を始め種々の合奏用ハーモニカを得て,演奏効果を益々上げていった。
 
大正14年にはNHKの仮放送の許可が下りるや,棋界ナンバーワンたる我がソサエティーがNHKの依頼によりわが国初のハーモニカ合奏を電波にのせ,全国のハーモニカファンの心を奪い,明大の意気を高揚した。

3 明大校歌の誕生

2 第1回演奏会の開催